こんちわ、ナヲヤです。
先日行われた釜石SW対ヤマハ発動機ジュビロの試合、とても感動するいい試合でした!
試合が行われた鵜住居復興スタジアムはこの日がこけら落としでした。
私は自宅でPCから試合の様子を見ていたのですが、その時考えていたことを振り返ってみようと思います。
もくじ
鵜住居、なんて読む(笑)
鵜住居は、「うのすまい」と読みます。
「今更聞けない…」は解消しましたか?(笑)
私は当初、「うじゅうきょ」とか呼んでました。地名は難読ですな(笑)
場所はこの辺。
敢えて、航空写真の方にしてみました。
まだ建設中の様子が見れます。
海にもほど近く、東日本大震災の際は、津波の被害も大きかったでしょう…。
釜石鵜住居復興スタジアムは、まさに東日本大震災からの、釜石の復興の歩みの証でもあるのです。
釜石鵜住居復興スタジアム建設の経緯
スタジアムが建設された場所には、かつて石市立鵜住居小学校と釜石市立釜石東中学校という二つの学校がありました。
河口にもほど近い両校は、津波によって校舎が浸水、全壊するという被害を受けました。
幸い、児童は高台に避難しており、全員無事でしたが、学び舎を失った子供たちの胸中はいかばかりであったでしょう。
震災後、釜石市は「復興まちづくり基本計画」の一つとして、「将来の希望を創る個性的な取組の推進」を掲げました。
「北の鉄人」と呼ばれた、市民の誇りである、新日本製鐵釜石があったこと。
そして、震災のような災害にも耐えうる防災機能を持った施設として、球技場としてのスタジアムの建設。
さらには、2019年ラグビーワールドカップの試合誘致を、釜石市は取り組んできました。
ワールドカップ本番では、
プールD:フィジー対ウルグアイ
プールB:ナミビア対敗者復活戦勝者
の2試合が開催されることになりました!
釜石鵜住居復興スタジアムの特徴
8/19の試合では、約6500人の観客が集まったようです。スタンドは満員でした。
ワールドカップ本番では、仮設のシートが増設され、16000人収容が可能になるようです!
メインシートには、「絆シート」と呼ばれる、旧国立競技場、熊本県民総合運動公園陸上競技場、東京ドームから寄贈されたシートが用意されています。
地元の木材である杉の木のシートも放映され、その美しさが印象的でした。
グラウンドの芝は天然芝と人工芝のハイブリッドで、導入は日本初とのこと。
ラグビーはその激しさゆえに芝への負担が大きく、いつぞやの秩父宮はめくれて大変でしたけど、このハイブリッド芝は耐久性や保水性に優れているようです。
ワールドカップが開催される全15会場で唯一の新設会場である釜石鵜住居復興スタジアム!
伊達ではないですよ!!
8/19の感動しどころ
さて、こけら落としのイベント、たくさんの感動がありました。
順番バラバラですが、色々思うところあったので、思いつくまま書かせていただきます。
レジェンドOB戦
新日鐵釜石OB対神戸製鋼OB!!
往年の名選手が集まって、ラグビーをしてくれました。
皆さん、年を取りましたね(笑)
でも元気で、笑顔であったのがとてもいいなと思いました。
松尾さんの「もうやりたくないけど楽しかった」というセリフ、いかにも!という感じでした(笑)
大漁旗!
かっまいしー、かっまいしーの掛け声とともに降られるたくさんの大漁旗。
地元では福来旗(ふらいき)と呼ばれているのでしょうか?
ゴール後ろで子供たちの降る大漁旗が良かった…
釜石SWの選手たちがどれほど勇気付けられたでしょうか!
ワールドカップでも、ぜひ世界のファンに見てもらいたい光景だと思いました!
釜石SW対ヤマハ発動機ジュビロの激戦
2011年、釜石で震災後初のラグビーの試合をしたのが両チームだったことから、メモリアルゲームとして対戦カードが組まれました。
釜石SWはよくしのぎ、よく攻めました!
前半折り返した時点では14-15で、釜石SWがヤマハに一点のリードは許していたものの、全くの互角!
後半攻めあぐね、テンポに乗り切れない中、ヤマハに2トライ決められた時点で万事休すか、と思いました。
が、最後、魅せてくれましたね!
キャプテンの小野航大選手が攻守ともに熱いプレーを魅せてくれました。
後半の後半は、釜石SWの選手は肩で息をして、足も攣ったりしている選手もいて、かなりきつそうに見えましたが、前述の小野選手や中野選手の熱いアタックで最後の最後にヤマハに襲い掛かりました。
怒涛の追い上げで2トライ奪取!!
わずか5点追いつけなかったものの、釜石魂を大いに見せてくれました。
イヤホント、最後のトライは涙出ました。試合終了まで絶対にあきらめないその姿勢が素晴らしかった!
改めてラグビーっていいなと思ってしまいました!
ラグビーは誰が為にあるのか?
釜石にとって、ラグビーはみんなに活力を与えてくれる、誇りなのだとスタジアムの様子を見ていて思いました。
チームに携わる選手やスタッフだけでなく、ファンが一体となってチームを押し上げているその姿に、ラグビーの理想形を見ます。
7年前に東北を襲った悲劇。
2年前、ツール・ド・東北に参加した私は、震災の傷が癒えきらぬ町の姿に無力感を感じていました。
でもそこに住む人たちはすごく明るく、我々をもてなしてくれました。
復興の兆しは、ようやく見えてきたのでしょうか?
最後に、記念試合の前に行われた、洞口留伊さんのキックオフ宣言の全文を掲載させていただきます。
わたしは、釡石が好きだ。海と山に囲まれた、自然豊かな町だから。わたしは、釡石が好きだ。空気も人の心も、温かくてきれいな町だから。わたしは、ラグビーが好きだ。釡石でのラグビーワールドカップ開催を知り、市が募集をしたラグビー親善大使に応募して2015年のイングランド大会で人生初のラグビーを観戦し、会場の雰囲気とその迫力に圧倒されたから。わたしは、ラグビーが好きだ。試合後、ファン同士が敵味方関係なく握手をし合い、一緒になってゴミ拾いをしている姿に感銘を受けたから。
7年前の3月11日。小学校3年生だった私は、算数の授業を受けていた。防寒着を来て、校舎の5階へ逃げた。土砂崩れが起きて、もっと高くへ逃げた。うしろを振り返れば、鵜住居を飲み込む津波が見えたかもしれない。けれど、私は「とにかく逃げなきゃ」と焦っていた。たまたま通りかがったトラックに乗って、町の体育館へ避難した。
11列に並んで2人ずつ分けたおせんべい。コップ一杯の水。そのときの自分の気持ちはうまく思い出せない。数日たっておにぎりを1つ食べられたときに、食べられること、生きていることのよろこびをじんわりと感じたことは覚えている。
当時の私に、「この町にラグビーワールドカップがやってくるよ」と伝えても、きっと信じてくれないだろう。2019年。大好きな釡石のまちで、大好きなラグビーの国際大会が行われる。そして、このスタジアムは、完成した。そして、釡石は、世界とつながる。いま、私がしなければならないことは、あのとき、釡石のために支援をしてくれた日本中の、そして世界中の人たちにあらためて感謝の思いを伝えることだと思う。そして、私がイングランドで感じたように、町を盛り上げることが大切だと思う。このスタジアムがつくられたのは、私の小学校があった場所。入学するはずだった中学校があった場所。そして、離れ離れになってしまった友だちと、また会える大切な場所。
今日は、そんな思いのつまったスタジアムが生まれた日。日本中の釡石を愛する人たちと、世界中のラグビーを愛する人たちと、この日を迎えられたことを祝い、そして感謝したい。
Thank you everyone in the world for your support.
We have recovered and will move on wards from the earthquake.
We are looking forward to seeing you in Kamaishi next year.
このスタジアムはたくさんの感謝を乗せて、いま、未来へ向けて出航していく。
未来への船出
2018年8月19日
釡石高校2年 洞口留伊
コメントはこちら