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ノーサイドの精神/日本で息づいたラグビー文化の話

ノーサイドの精神/日本で息づいたラグビー文化の話

こんちわ、ナヲヤです。

定期的に過去記事を巡回して、説明不足な点が無いかチェックしていますが、それをやるととんでもない量の「説明不足」があることに気づきます。

このブログはラグビーの面白さや魅力を、「最近ラグビーに興味がわいた」人を対象に伝えられるよう書いているつもりなのですが、そうすると経験者の感覚で書いてしまうことで、ひどく不親切な内容になってしまうことがあります。

このブログの中でちょくちょく使っていたラグビー用語も、実は最近ラグビーを知った人にとっては難解な話だったりするわけで、そんな言葉が無いかピックアップしているのです。

そしたらザクザク出てきた(笑)

今日はそんな中でも、ノーサイドを説明させていただきます。

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ラグビーのノーサイドとは?

もしかしたらラグビーファンでない人も一度は耳にしたことがあるかもしれない言葉。

「no side」と書きます。

両軍の陣営が消える、対立構造が無くなる、という意味を持ちます。

ラグビーでは試合終了のことをノーサイドと呼んでおり、ゲームセット等と呼ぶことは多くありません。

ノーサイドを使うスポーツは、世の中にスポーツ数多しと言えどもラグビーくらいなのではないでしょうか?

では、なぜラグビーではゲームセットなどの他のスポーツと同じ言葉を用いず、ノーサイドを使用するのでしょうか?

上に挙げた通り、ノーサイドとは敵味方の関係を解くという意味があります。

ラグビーは試合終了後にアフターマッチファンクションという、両チーム混合でのパーティーを行う文化があります。

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というか、おそらくこのアフターマッチファンクションを行うためにラグビーがあったといっても過言ではありません(笑)

ラグビーが生まれたばかりの時代では、お酒を飲む前にラグビーで楽しんだというのが本当のところなのではないかと私は睨んでいます(笑)

ラグビーは勝敗を決めるために行うのではないという原則があります。

同点であれば引き分け。

トーナメント戦のときは、トライ数やトライの数まで同じときはコイントスなどで決めることがありますが、リーグ戦等の時は同点のままタイムアップになっても延長戦などはありません。

この辺、先祖を同じくするサッカーとちょっと違いますね。

これも、パーティーに遅れないように、決めた時間だけでやる文化が形を変えたものなのではないかと思っています。

やや話がそれましたが、ラグビーはパーティー前の余興として楽しまれていたスポーツで、そのパーティーを楽しくするために勝敗にこだわるのはやめて、試合終了とともに「敵味方なし」としたのがそもそもの始まりなのではないでしょうか。

かつての痕跡は、不思議な形で残っていますよね(笑)

ノーサイドの精神は日本だけ?

ところが、、、です。

実は海外のラグビーはノーサイドを用いていません。

今までの話ウソだったんかい、と(笑)

海外ではおもに「フルタイム(full time)」が用いられることが多いようです。

そして、「ノーサイド」を使っているのは日本くらいのようです。

日本代表を指揮していた前HCエディー・ジョーンズがインタビューをうける中で、「ノーサイドの精神が…」と話を振られたところ、「ノーサイドって何ですか?」と聞き返したことがあるようです。

同席していた海外のコーチも初耳だったようで、インタビューの最中ポカーンだった、という話をどこかで目にした覚えがあります。

では、海外ではノーサイドの精神は死んでしまったのでしょうか?

ノーサイドの精神は死んだのではなく、もしかしたら日本人が都合よく解釈して、日本に適合するようアレンジしたものなのではないでしょうか?

明治時代、日本は「西欧列強に学べ」ということで、当時のイギリスにも積極的に人材を送り込んでいたと思われ、そのころに当時のラグビーにも触れていた可能性は高いと思います。

富国強兵を言われていた時代、ラグビーは海軍の演習にも取り入れられたりしていますから、留学の際ラグビーを勉強した人も少なからずいたはずです。

当時の日本人がラグビーを見てどう思ったかは分からないのですが、あれだけ激しいプレーの後に敵味方入り乱れてアフターマッチファンクションをしている光景は不思議に映ったのではないでしょうか。

彼らにそのことを質問した際に説明の中に「no side」という言葉があったかもしれません。

戦前の道徳として、このノーサイドの考え方は当時の日本にマッチしてしまったのではないでしょうか。

「英国ではこんなに素晴らしい道徳があるぞ! 見習わなくては!」てな感じに。

帰国して非常に美しいところだけを抽出して作られたノーサイドの精神は、英国よりはるか東の極東の国でガラパゴス化していき、今日に至るまで生き残ってきたわけです。

これは、英国が薄情だと言っているのではなく、そもそも英国ではノーサイドという概念は無かったのでしょう。

「パーティー楽しもうぜー。そのまえにラグビーして軽く汗ながそーぜ!」くらいの感覚だったのではないでしょうか。

それを見た日本人留学生は、

「先ほどまであんなに激しくプレーしていた人間同士が、今は肩を組んで酒を飲み笑いあっている。何という美しい光景だろうか。さすが英国、平和への意識が強い!」

と、英国への憧れもあって、ノーサイドの精神を概念化し、帰国して積極的にこの精神を伝えたのではないでしょうか。

これは勘違いや勝手な思い込みなどではなく、純心な日本人をいたく感動させ、母国に広めたいと思わせるほどのシーンが当時のラグビーにあったのだと思います。

ノーサイドの考え方は非常に面白く、美しいものだと私は思っています。

100年ほど前に、遠い国を行き来した若者がノーサイドの精神にたどり着いたと考えると、大きな歴史のドラマを感じませんか(笑)

ラグビーは争いの手段ではない

ラグビーはとても荒々しく見えますが、本来争いの手段ではありません。

不思議なことに試合中は憎いと思った敵プレイヤーでも、「ノーサイド」となった瞬間に全力を賭して戦った相手として敬意を表したくなるもの。

こんな面白い考え方を改めて世界のラグビーファンに知ってもらうのは、RWC2019は格好のイベントなのではないでしょうか。

No side from Japan !

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記事を書いた人

nawoya
ナヲヤです。1983年生まれ、高知県在住です。
2019年ラグビーW杯の時に、少しでも多くの人と
ラグビーを楽しめるよう、ラグビーの楽しさを紹介します。

雑記では、ラグビー以外の気になることも紹介していきます。

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